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vol.23 生活の中で“支障がない”それで丁度良いのです

掲載コラム(Wink)

スマホやパソコンの普及によって近業作業が日常になり、年齢に関わらず視力が低下したり、近くが見えづらかったり、老眼世代にとっては“見えない”を実感する場面が増えました。
かくいう僕も、43才から老眼鏡を使っています。43才というと早いと思われがちですが、老眼は年齢よりも“何をどこまで見たいか”によるので、細かいパーツなどが見えなくてはいけない僕にとっては早くはないという事になります。しかし遠くは裸眼で見えますので、遠近両用の必要はありません。
そう、眼鏡をつくるにあたり、「何が見えないか」と「これは見える」は同じくらい大事な情報です。
その人それぞれに見えたいものの基準は違うと思います。現代のライフスタイルにおいて、無限遠方見える必要はないですし、ある程度年齢を重ねると老眼は必ず出ますが、出たからといって必ず眼鏡が必要かといえば不要な人もいます。 遠くでも近くでも、“見えるか、見えないか”より“生活に支障がない”を基準につくらないと結果、過矯正で疲れる、遠近両用眼鏡をつくったけれど裸眼の方が見えるなど、結局使わないという事になりかねません。
眼鏡づくりに失敗しないのは、やはり遠慮をせずに「ここに支障をきたしている・いない」をきちんと伝える事だと思います。
明確に伝わる事によって、その人がどれくらいの矯正を必要としているか、度数の加減の導きをしやすいので、結果ちゃんと合っている眼鏡が出来ます。
似合う似合わないも含め、「あの眼鏡は使ってない」がなくなるといいなと思います。令和4年Wink6月号掲載

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